加藤正次とは? わかりやすく解説

加藤正次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 06:39 UTC 版)

加藤正次
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県夷隅郡御宿町
生年月日 (1958-03-18) 1958年3月18日(67歳)
身長
体重
177 cm
67 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 ドラフト5位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

加藤 正次(かとう まさじ、1958年3月18日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

実家は民宿を営む。勝浦高では、1975年春季関東大会県予選準決勝で篠塚利夫宇野勝らのいた銚子商を相手にノーヒットノーランを達成。決勝ではエース小川淳司を擁する習志野高に敗れた。専修大学に進学。東都大学野球リーグでは1978年春季リーグで優勝を経験。この時は堀田一彦中尾孝義のバッテリーが主力であり、あまり活躍の場はなかった。

卒業後は社会人野球日本通運に入社。1981年都市対抗にエースとして出場。準々決勝に進み、東芝黒紙義弘と投げ合うが敗退[1]。この時のチームメイトに辻発彦福原峰夫らがいた。同年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから3位指名を受けたが、入団拒否。

1982年社会人野球日本選手権は決勝に進むが、ヤマハ発動機鈴木政明らに抑えられ敗れる[2]。この大会では敢闘賞を獲得。1983年都市対抗でも準決勝に進むが、新日本製鐵名古屋に敗退[1]。同年のプロ野球ドラフト会議ヤクルトスワローズから5位で指名を受け入団。

一軍出場機会がないまま、1985年限りで現役を引退。

後に千葉市リトルシニア野球協会の監督を務める。2009年にリトルシニアUSSSA(全米選手権大会)で初優勝した全日本選抜チームのコーチを務めた[3][4]

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 16 (1984年 - 1985年)

脚注

  1. ^ a b 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  2. ^ 「社会人野球日本選手権大会20年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1994年
  3. ^ [1]
  4. ^ [2]

関連項目





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