小山昌男とは? わかりやすく解説

小山昌男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/17 00:55 UTC 版)

小山 昌男
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府堺市
生年月日 (1963-08-30) 1963年8月30日(61歳)
身長
体重
185 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト2位
初出場 1983年5月7日
最終出場 1988年4月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小山 昌男(こやま まさお、1963年8月30日 - )は、大阪府堺市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

小学校3年時に「榎ビクトリー」で野球を始める。三国ヶ丘中学校に進学。

天理高では、1年夏の第61回高校野球選手権に背番号15でベンチ入り。続く2年夏の第62回高校野球選手権では背番号11ながら右のエース格として出場し、同じ2年生で左腕エースの川本和宏、4番・三塁手藤本博史とともにベスト4入りに貢献[1]。その後は秋に起きたチームで起きた不祥事のため丸1年の対外公式試合禁止の処分を受け、3年時の甲子園行きのチャンスを棒に振ることになる。しかし、甲子園での実績や素質を見込まれ1981年プロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから2位指名を受け入団[1]。チームメイトの藤本は4位で、川本は6位で南海ホークスへ入団した。

高卒ながらプロ2年目の1983年に一軍初登板を果たし、その後は小野和義と共に近鉄の若手2本柱として活躍する。しかし、故障により1989年からは一軍登板はなく、1990年にはサイドスローに転向を試みるも結果を出せず、1991年に現役を引退する。翌年は韓国プロ野球サンバンウル・レイダースに入団予定であったが直前になって見送られた[1]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1983 近鉄 11 4 0 0 0 2 2 0 -- .500 135 31.0 31 3 12 0 1 14 0 0 21 18 5.23 1.39
1984 22 15 2 1 1 6 3 0 -- .667 411 92.0 109 10 29 0 2 36 0 0 58 44 4.30 1.50
1985 25 25 1 0 0 6 7 0 -- .462 609 133.2 155 20 52 0 6 44 0 0 89 83 5.59 1.55
1986 9 7 2 0 1 5 2 0 -- .714 219 52.0 48 2 15 3 1 25 1 0 21 18 3.12 1.21
1987 18 15 2 1 1 4 6 0 -- .400 329 75.2 89 15 16 0 2 36 0 0 49 40 4.76 1.39
1988 1 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 10 1.1 6 0 0 0 0 0 0 0 4 3 20.25 4.50
通算:6年 86 67 7 2 3 23 21 0 -- .523 1713 385.2 438 50 124 3 12 155 1 0 242 206 4.81 1.46

記録

背番号

  • 45 (1982年 - 1991年)

脚注

  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、232ページ

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小山昌男」の関連用語

小山昌男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小山昌男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小山昌男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS