加藤正俊とは? わかりやすく解説

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加藤正俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 22:07 UTC 版)

加藤 正俊(かとう しょうしゅん、1929年11月1日[1] - 2009年9月8日[2])は、臨済宗の僧、仏教学者。 京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町)出身。臨済学院中学部を経て、1954年花園大学仏教学部卒。その後、臨済宗妙心寺派円福僧堂に掛搭。1956年(昭和31年)より天龍寺塔頭の慈済院の稲葉心田に師事した。そして1972年には立命館大学大学院日本史学修士課程修了。1964年禅文化研究所研究員、花園大学文学部教授。2000年名誉教授。天龍寺塔頭金剛院住職。2009年9月、京都市内の病院で遷化。[3]

著書

共編著

  • 『禅画の世界』福嶋俊翁共著 淡交社 1978
  • 『文人書譜 9 白隠』柳田聖山共著 淡交社 1979
  • 『日本仏教宗史論集 第7巻 栄西禅師と臨済宗』平野宗浄共編 吉川弘文館 1985
  • 『円相 禅の究極』編著 毎日新聞社 1986
  • 盤珪禅師遺芳』編 盤珪禅師遺墨集刊行会 1993
  • 夢窓国師遺芳 夢窓国師六百五十年遠諱記念』編著 大本山天龍寺 2000

脚注

  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 加藤正俊氏死去:四国新聞
  3. ^ 『関山慧玄と初期妙心寺』著者紹介



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