加藤千浪とは? わかりやすく解説

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加藤千浪

読み方かとう ちなみ

幕末・明治国学者歌人通称弥三郎弥助、号は萩園岸本由豆流について国学修め歌道及び書に長けた著書に『萩園歌集』『詠史百集』等がある。明治10年(1877)歿、68才。

加藤千浪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 00:52 UTC 版)

加藤 千浪(かとう ちなみ、1810年<文化7年>11月19日 - 1877年<明治10年>11月18日)は、幕末から明治時代国学者歌人。通称は弥三郎または弥助。は萩園。

生涯

陸奥国白河(現在の福島県白河市)にて加藤美方と母緑川氏の子として生まれる。幼少より勉学を好み、後に江戸に出て、岸本由豆流国学を学ぶ。歌道や書に長けていたという。

明治維新後、歌人としての名声が高く、多くの門人を抱えた。この中には伊東祐命中島歌子などがいる。明治10年11月18日逝去。享年は68歳[1]。墓所は深川臨川寺。妻は三宅氏で、子供はなく養子を関氏よりとった。

顕彰碑向島区牛嶋神社に建立された。

著書等

  • 著書:『詠史百集』
  • 編著:『冠註大和物語
  • 歌集:『荻園歌集』

[2]

脚注



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