前田和明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/18 16:32 UTC 版)
|
||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
||||||
| 名前 | ||||||
| カタカナ | マエダ カズアキ | |||||
| ラテン文字 | MAEDA Kazuaki | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
|||||
| 生年月日 | 1966年1月22日(59歳) | |||||
| 出身地 | |
|||||
| 身長 | 181cm | |||||
| 体重 | 79kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1984-1986 | |
|||||
| 1988-1989 | |
|||||
| 1989-1990 | |
|||||
| 1990 | |
|||||
| 1991-1992 | |
|||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
||||||
前田 和明(まえだ かずあき、1966年1月22日 - )は東京都中野区出身の元サッカー選手。翻訳家。現役時代のポジションはフォワード(FW)。
経歴
1966年、東京都中野区に生まれ、13歳の時にサッカーを始めた[1]。
高校卒業後、18歳でスペインへ渡り[2]、バラカルドCFでトレーニングを重ねるも、外国籍選手としての登録が叶わず退団を余儀なくされた[3]。その後はフランスRCフォンテーヌブローのテストで好感触を得るも、テロの影響でビザ発給要件が厳しくなり、不法滞在者として送還されるおそれが出てきたため[4]切り上げる。
1987年、ブラジルへ。グアラチンゲタにテスト生として在籍するも、財政難のために契約に至らなかった[5]。1988年1月からはバヘットスECにテスト参加。ビザ取得に時間を要するも、翌1989年にプロデビュー[6]。その後ロンドリーナEC、イトゥアーノFCを経て、ウニオン・サンジョアンECに籍を置くも、既に帰国の意思を固めていたためトレーニングのみ参加。宿舎の隣室にはロベルト・カルロスがいた[7]。
1991年に帰国し、イトゥアーノOBが複数在籍する東京ガスサッカー部(後のFC東京)でプレー。
1993年、海外サッカーコーディネート業を行う「T.I.E」を設立[8]。
1996年、フランスへ。1998年よりASカンヌで指導法を学び、2001年にフランスサッカー連盟発行の指導者ライセンスを取得。パリに2年、カンヌに3年滞在した。
2002年から2005年まではハワイ・オアフ島に移住し、日本人、アメリカ人の子供達にサッカーを指導。その中に後にアメリカ代表となるボビー・ウッドがいた。2004年には日本サッカー協会主催エリートプログラムでクロード・デュソーコーチのフランス語通訳を務めた。
2006年から2016年までブラジルに居住し、サッカーコーディネート業務を行う一方で、建設会社を経営。この期間中、マンション2棟と高級住宅2軒の建設を手掛けた。サッカーコーディネートの一環として、フィゲレンセU18に所属していた若手選手ロベルト・フィルミーノを、16歳の時にフランスのオリンピック・マルセイユに研修およびテストのために紹介。この経験が、フィルミーノのキャリアにおける重要なターニングポイントとなった。
2016年にオランダへ移住後、サッカーコーディネート会社I.E.Y.E. INTERNATIONAL AND EDUCATIONAL YOUTH EXCHANGEを設立。同社はヨーロッパやブラジルでのサッカートレーニングキャンプのコーディネート業務を主力としている。一方、ブラジルでは引き続きサッカーコーディネート会社T.I.Eの運営も継続して行われている。
2021年、日本の企業によって買収されたポルトガルのLiga3所属のAnadia FCは、チーム運営における課題に直面していた。この背景から、外部の専門家としてコンサルティングの依頼を受けた前田和明が、実子の前田天太と共に、ダイレクター、選手、監督のリクルーティングを行い、組織の再編をサポート。これにより、チームの士気が大幅に向上し、2021-2022シーズンLiga3における三部残留を達成した。残留が決定した試合が終了した直後、前田和明は辞任した。
所属クラブ
- 都立武蔵高校[8]
- 1984年 - 1986年
バラカルドCF[8] - 1988年 - 1989年
バヘットスEC (Barretos Esporte Clube) [8] - 1989年 - 1990年
ロンドリーナEC[8] - 1990年
イトゥアーノFC (Ituano Futebol Clube) [8] - 1991年 - 1992年
東京ガスサッカー部[8]
書籍
著書
- 『王者交代:悩めるブラジル躍進するフランス』日本放送出版協会、2002年。
主な訳書
- ジーコ『ジーコの考えるサッカー Vol.2』日本放送出版協会、1995年。
- ジーコ『ジーコの考えるサッカー Vol.3』日本放送出版協会、1996年。
- ジョン・バチスタ・ロペス・アベリア『ゴールキーパー入門』ビクターエンタテインメント、1996年。
- ドゥンガ『セレソン』日本放送出版協会、1998年。
- レオナルド『レオナルド自伝 いつも感動とともに』ビクターエンタテインメント、1999年。
その他の情報
- 村上龍氏による小説『368Y(ヤード) Par(パー)4第2打』に登場する主人公ケンタロウのモデルは、前田和明である。
脚注
関連項目
外部リンク
- 前田 和明のページへのリンク
