初登頂以前の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 00:55 UTC 版)
特に18世紀初頭にはアネト山が登山家の興味を引いた。1817年にはFriedrich von Parrotがマラデータのピークに登頂し、アネト山の他に、近くのメディオ峰、プンタ・アストルグ、マルディート峰、アグハ・シュミット・エンデルも高くそびえていることを確認した。それまではアネト山ではなくモン・ペルデュ(モンテ・ペルディード)がピレネーの最高峰だとされていた。アネト山が名声を得始めた時、ピレネーで最も高いピークの数々はすでに登頂されていたが、致命性をはらむ氷河の危険性の問題から登頂への興味は薄れていった。この地域の登山界の重鎮で権威だとされていたLuchon Barrauは、マラデッタ山塊(英語版)の氷河の亀裂に落ちて死去し、登山界に衝撃を与えた。それまでも地元住民は氷河を超える登山を憂慮しており、Barrauの死は祟りであると考えた。
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