出生と家督相続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:22 UTC 版)
文安3年(1446年)、大内教弘の子として生まれ、のち元服時に室町幕府第8代将軍・足利義政より偏諱を賜い、父・教弘からも1字を与えられて政弘と名乗る。 なお、康正3年(1457年)に父・教弘が幕府に無断で安芸武田氏を攻めた際に勘気を受けて、幕府によって当時亀童丸と呼ばれていた政弘が大内氏当主に立てられ、それが寛正4年(1463年)に教弘が赦免されるまで続いたとする研究がある。 寛正6年(1465年)、父・教弘の死により20歳で家督を相続し、周防・長門・豊前・筑前の守護も継承した。
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