再三、唐の国難を救う
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 21:04 UTC 版)
粛宗の時、安史の乱を平らげて国難を救う功を挙げ、衛尉卿・霊武郡太守・朔方節度使・関内河東副元帥に任ぜられ、汾陽王に封ぜられた。 764年、前述の安史の乱の際に賊軍征伐をともに行った僕固懐恩が宦官との対立から叛乱を起こし、太原に進攻したのを撃退した。 765年、吐蕃・ウイグルの叛乱を平定し、徳宗より尚父の号を賜り、大尉・中書令に昇進した。
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