再び国際舞台へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:17 UTC 版)
1988年には第1回スーペルコパ・スダメリカーナに出場し、バシーレ監督のチームは決勝でクルゼイロEC(ブラジル)を破って優勝。同年にはスーペルコパ・インテラメリカーナに出場し、スポルティーボ・エレディアーノ(コスタリカ)を3-0で破った。1989年には久々にコパ・リベルタドーレスに出場したが、アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)に敗れた。1992年にもスーペルコパ・スダメリカーナの決勝に進出し、決勝では4年前と同じくクルゼイロと対戦した。アウェーのベロオリゾンテで行われたファーストレグに0-4で敗れ、セカンドレグには1-0で勝利したものの、2試合合計1-4で準優勝に終わった。アペルトゥーラ1993でもタイトルに近づいたが、リーベル・プレートに次ぐ2位に終わった。この時代の主力選手にはフィジョール、グスタボ・コスタス、ネストル・ファブリ、トッティ・イグレシアス、ルベン・パス(1988年に南米年間最優秀選手賞受賞)、クラウディオ・ガルシア、クラウディオ・ロペス、フェルナンド・キロスなどがいた。
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