円徳寺 (岐阜市)とは? わかりやすく解説

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円徳寺 (岐阜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 05:12 UTC 版)

円徳寺
円徳寺(岐阜市)
所在地 岐阜県岐阜市神田町6-24
位置 北緯35度24分56.0秒 東経136度45分33.7秒 / 北緯35.415556度 東経136.759361度 / 35.415556; 136.759361座標: 北緯35度24分56.0秒 東経136度45分33.7秒 / 北緯35.415556度 東経136.759361度 / 35.415556; 136.759361
宗旨 浄土真宗
宗派 真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 寿永2年(1183年
開基 寂円
文化財 楽市楽座制札(重要文化財)
伝織田塚改葬地
法人番号 3200005000501
円徳寺
円徳寺 (岐阜県)
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円徳寺(えんとくじ)は岐阜県岐阜市にある浄土真宗本願寺派の寺院。織田氏ゆかりの寺として知られる。

沿革

寿永2年(1183年)に比叡山延暦寺の僧・寂円により天台宗の寺院、法泉寺として現在の岐阜市長旗に開創される。2世寂世が親鸞に帰依して浄土真宗の寺となり、寺号を常泉坊に改めた。

天文16年(1547年)に織田信秀加納口の戦いに敗北し、多くの敗死者を出すとそれを弔うための塚が寺内に設けられた。この塚は現在でも残っており、織田塚として岐阜市の文化財に指定されている。

永禄7年(1564年)に織田信長が岐阜城主となると土地を寄進されて現在地に移った。その際門前に市が開かれる。

永禄10年(1567年)と永禄11年(1568年)に織田信長が楽市楽座の制札を発給した。

その後岐阜城主となった池田輝政も楽市楽座の制札を掲げ、織田信長の制札と共に平成5年(1993年)に国の重要文化財に指定された。

慶長5年(1600年)、岐阜城の戦いで敗北した織田秀信は当寺で剃髪し、高野山へ入った。

文化財

重要文化財(国指定)

岐阜市指定文化財

  • 梵鐘
  • 本願寺顕如消息
  • 銀箔押烏帽子形兜

岐阜市指定史跡

  • 伝織田塚改葬地

脚注

  1. ^ 平成5年6月10日文部省告示第81号



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