円勝寺_(東京都北区)とは? わかりやすく解説

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円勝寺 (東京都北区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/13 14:40 UTC 版)

円勝寺
所在地 東京都北区中里3-1-1
位置 北緯35度44分23.0秒 東経139度45分09.3秒 / 北緯35.739722度 東経139.752583度 / 35.739722; 139.752583座標: 北緯35度44分23.0秒 東経139度45分09.3秒 / 北緯35.739722度 東経139.752583度 / 35.739722; 139.752583
山号 光明山[1]
院号 照徳院[1]
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来[1]
創建年 鎌倉時代
開山 信阿聖法(弘安9年(1286年)寂)[1]
法人番号 2011505000151
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円勝寺(えんしょうじ)は、東京都北区にある浄土宗寺院

概要

鎌倉時代、信阿聖法によって開山された。当時は武蔵国江戸龍ノ口(現・東京都千代田区丸の内)に位置していた。その後、現在地に移転した[2]

かつては、徳川家康が腰掛けたとされる「御腰掛松」というがあった。その時に家康が寺領5を与えたため、「五石松」の異名もあった[2]

境内には茶人の家柄の伊佐家の墓がある[3]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 中里村.
  2. ^ a b 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』学生社、1993年、78p
  3. ^ 文化財説明板伊佐家の墓北区飛鳥山博物館

参考文献

  • 芦田正次郎、工藤信一 著『北区史跡散歩 (東京史跡ガイド17)』学生社、1993年
  • 「中里村 圓勝寺」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ17豊島郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/104 

関連文献

  • 斎藤長秋 編「卷之五 玉衡之部 光明山圓勝寺/五石松」 『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、304-305頁。NDLJP:1174157/157 





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