内藤政共とは? わかりやすく解説

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内藤政共

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 09:30 UTC 版)

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内藤政共子爵
内藤政共朝臣

内藤 政共(ないとう まさとも、1859年4月1日(安政6年2月28日[1]) - 1902年明治35年)11月22日[2][注 1])は、明治期の海軍技師政治家華族。最終階級は海軍造船大技士。貴族院子爵議員

経歴

挙母藩主(第4代)・内藤政成の十二男として生まれ、内藤文成(第7代藩主)の養子となる[1]1874年(明治7年)6月10日、養父の隠居に伴い家督を継承[1]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]

1881年(明治14年)工部大学校を卒業[2]。同年、イギリスに私費留学し、グラスゴー大学で海事工学を研究した[2][4]。帰国後、1885年(明治18年)海軍省御用掛に就任[2]。以後、海軍大技士、同造船大技士を歴任[2][4][5]。その他、兼小野浜造船所製造科主幹、川崎造船所嘱託なども務めた[2][4][5]1887年(明治20年)1月、待命となり、1888年(明治21年)非職、1890年7月(明治23年)予備役に編入された[5]

1890年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[2]、死去するまで2期在任した[2]。この間、製鉄事業調査会委員、造船規程調査委員[2]東京市会議員[6]などを務めた。

親族

脚注

注釈

  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、213頁では11月23日。

出典

  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、212-213頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』49頁。
  3. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  4. ^ a b c 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、486頁。
  5. ^ a b c 『明治過去帳』新訂初版、667頁。
  6. ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)

参考文献

  • 富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補、日外アソシエーツ、2005年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。


日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
挙母内藤家初代
1884年 - 1902年
次代:
内藤政光



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