六条御息所の年齢等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 09:30 UTC 版)
「六条御息所」も参照 「賢木」巻において、六条御息所の経歴について「十六にて故宮に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。三十にてぞ、今日また九重を見たまひける。(16歳で東宮妃となり、20歳で東宮と死別し、いま30歳になって再び宮中を見ることになった)」とあり、またその娘(後の秋好中宮)の年齢について「斎宮は、十四にぞなりたまひける。(斎宮は14歳になった。)」とある。しかしこの記述は、「桐壺」巻の光源氏が4歳のときに光源氏の兄であり、桐壺帝の第一皇子である後の朱雀帝が立坊しており、また「葵」巻の冒頭(光源氏の22歳春)において「代替わりがあった(桐壺帝が譲位し東宮であった朱雀帝が即位した)」との記述があり、この間は後の朱雀帝が一貫して東宮であったと考えざるを得ない(また朱雀帝が立坊する前年に桐壺帝が光源氏を立坊させることを考えた旨の記述があることから朱雀帝が立坊した時点でその時点まで少なくとも1年以上東宮位は空位であったと考えられる。)という他の巻における記述と矛盾する。
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