入宋から帰朝まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:35 UTC 版)
兄弟弟子にあたる円爾の勧めにより入宋を志し、1249年(建長元年)に、覚儀、観明らを伴なって紀伊由良から九州に渡り、博多を出て入宋した。杭州湾口にある普蛇山に着き、中国五大禅寺のひとつである径山寺(興聖万寿禅寺)に上る。そして径山では円爾の師である無準師範が既に示寂していたので、径山の癡絶道沖に参じ、翌年には道場山の荊叟如珪に参じた。その後阿育王山に掛塔し、2年ほどその地で修行した。その後、1253年(建長5年)杭州の霊洞山護国仁王寺の無門慧開(1183-1260)に参じて、遂に臨済宗楊岐派の法を嗣いだ。そして1254年(建長6年)無門慧開より「無門関」「月林録」を授けられて帰朝した。
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