光明寺_(明石市)とは? わかりやすく解説

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光明寺 (明石市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/12 23:59 UTC 版)

光明寺
本堂
所在地 明石市鍛治屋町5-20[1]
位置 北緯34度38分42.9秒 東経134度59分37.9秒 / 北緯34.645250度 東経134.993861度 / 34.645250; 134.993861座標: 北緯34度38分42.9秒 東経134度59分37.9秒 / 北緯34.645250度 東経134.993861度 / 34.645250; 134.993861
山号 遍照山
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
正式名 遍照山光明寺
文化財 麻布著色盂蘭盆曼荼羅(県指定)
和鐘(市指定)
明治天皇行在所跡(市指定)
法人番号 8140005005626
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光明寺(こうみょうじ)は、兵庫県明石市鍛治屋町にある浄土宗の寺院。1885年明治18年)8月9日、山陽道御巡幸中の明治天皇が宿泊した場所でもあり、 1976年昭和51年)2月5日に明治天皇行在所跡として市指定文化財に指定されている[2] 。通称「浜光明寺」と呼ばれている。

歴史

1619年](元和5年)明石城築城時に三木市から現在地に移築された。1729年享保14年)藤原国次によってに作られた釣鐘は、明石市内最大級で市の指定文化財になっている。また、明治天皇が宿泊した「明治天皇行在所跡」も残っている[1][2]

境内

山門
鐘楼

本堂は、明石市内の寺院で最大級の大きさ。山門、観音堂、鐘楼が配置されている。和鐘は市指定文化財に指定されており、明石市内では最大である。

  • 山門
  • 本堂:1751年(寛延4年)の再建時、明石城築城の際に余った木材が使われる。
  • 観音堂
  • 鐘楼:1729年(享保14年)完成
    • 和鐘:明石市指定文化財[2]

文化財

文化財は、兵庫県指定文化財が絵画で1件、明石指定文化財が工芸品と史跡で2件指定されている。

  • 兵庫県指定文化財[3]
    • 名称:麻布著色盂蘭盆曼荼羅(あざぶちゃくしょくうらぼんまんだら)
      • 種別:絵画
      • 指定日: 1984年(昭和59年)3月28日
      • 幅: 135センチメートル
      • 長さ: 215センチメートル
      • 形状:軸物
  • 明石市指定文化財[2]

周辺

アクセス

脚注

  1. ^ a b 光明寺”. 明石観光協会. 2022年12月9日閲覧。
  2. ^ a b c d 明石市内指定・登録文化財一覧” (PDF). 明石市 (2021年6月1日). 2022年12月9日閲覧。
  3. ^ 県指定文化財(美術工芸品)東播磨地区 麻布著色盂蘭盆曼荼羅” (PDF). 兵庫県. 2022年12月9日閲覧。

関連項目

外部リンク




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