儂智高の反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 03:23 UTC 版)
慶暦4年(1044年)に西夏との和議がなると、しばらくは現地で勤めていたが、1052年には枢密副史に任命され、都で勤務する。この枢密副史は軍事の副長官に該当する職で、たいていの場合は文官がなるものなので、武官上がりの狄青がこれを務めるのは異例のことであった。しかし、広源州の儂智高が華南で反乱を起こすと、その平定のため再び前線に出ることになる。 このとき、官軍はあまりに士気が低く、どうにもならない状況であった。そこで狄青は「今から銅銭を100枚投げるが、これで全て表が出るようなことがあるなら、これは神のお告げである。必ず官軍は勝つ」と発言した。このような確率的にありえないことが起こるとはとうてい思えなかった部下が狄青を諌めたが、かまわず狄青は銅銭を投げた。すると、すべて表を向けて転がった。実は、この銅銭はあらかじめ狄青が用意した、もともと表しかない銅銭によるイカサマだったが、そうと知らない兵らは大いに士気を上げ、儂智高の反乱軍を平定したという。
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