倉田準五郎
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倉田 準五郎(くらた じゅんごろう、1848年7月4日(嘉永元年6月4日[1])- 1922年(大正11年)8月14日[1][2])は、明治時代の政治家。衆議院議員(3期)。旧姓・石井。「順五郎」の表記がある[1]。
経歴
備後福山藩領深津郡深津村(広島県深安郡深津村を経て現福山市)で[1][3]、石井武右衛門の二男として生まれ、水呑村(現:福山市)倉田彦太郎の養子となり家督を継いだ[1]。
1872年(明治5年)沼隈郡水呑村・田尻村の戸長に就任[1][3]。1878年(明治11年)深津・沼隈・安那郡書記に転じ、1883年(明治16年)まで務めた[3]。その後、東京専門学校に入学し政治経済を学んだのち、1888年(明治21年)郡長試験に合格した[3]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第8区から立憲改進党所属で出馬し当選[2]。つづく第2回、第3回総選挙でも当選し衆議院議員を通算3期務めた[2]。
その後、政界を引退し、備後織物同業組合長、福山義倉図書館長などを務めた[1]。
親族
脚注
参考文献
- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 広島県沼隈郡編『広島県沼隈郡誌』先憂会、1923年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
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