倉常寺とは? わかりやすく解説

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倉常寺

読み方:ソウジョウジ(soujouji)

別名 下椿お寺

宗派 浄土宗

所在 埼玉県北葛飾郡杉戸町

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

倉常寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/27 05:02 UTC 版)

倉常寺
所在地 埼玉県北葛飾郡杉戸町椿178-1
位置 北緯36度01分54.9秒 東経139度46分56.4秒 / 北緯36.031917度 東経139.782333度 / 36.031917; 139.782333座標: 北緯36度01分54.9秒 東経139度46分56.4秒 / 北緯36.031917度 東経139.782333度 / 36.031917; 139.782333
山号 寶椿山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀三尊
創建年 正保4年(1647年
開山 宗連社迎誉玄珠
公式サイト 浄土宗 寶椿山 倉常寺|倉常寺は、東京・青山梅窓院の分院で埼玉県の杉戸にあり、ふるさとのやすらぎと都市の機能性が両立したお寺です。
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倉常寺(そうじょうじ)は、埼玉県北葛飾郡杉戸町にある浄土宗寺院

歴史

1647年正保4年)、宗連社迎誉玄珠によって開山された。正保年間(1644年 - 1647年)頃に椿村が開村していることから、村の開村とともに創建されたものと推測される。現在のさいたま市岩槻区にある浄国寺の末寺である[1]

1932年昭和7年)、当寺で得度した中島真孝が当寺第20世住職となった。真孝は東京府東京市赤坂区(現・東京都港区)の梅窓院の住職でもあったため、慶應義塾大学教授で僧籍を持つ田中木叉が当寺の寺務を代行した。その縁により、当寺は梅窓院の分院と称している[1][2]

当寺には22基もの石仏が造立されている。これは開山の迎誉玄珠の発願によるもので、その多くが寛文年間(1661年 - 1673年)に集中している[3][1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 倉常寺とは倉常寺
  2. ^ 倉常寺トップページ倉常寺
  3. ^ 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年、479p

参考文献

  • 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年

外部リンク



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