俺についてこい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 15:43 UTC 版)
1948年11月、第3回福岡国体の開催終了後、小倉にあった自転車競技場を利用して、競輪の第一回の開催が行われることになった。しかし、開催にこぎつけるまでには苦労の連続で特に一番苦労だったのは選手がなかなか集まらなかったことである。 というのは当時、自転車競技選手といえば、学生以外は自転車メーカーに所属して選手生活を送っていたこともあり、海のものとも山のものとも分からない競輪に対し懐疑的な目で見ていて、なかなかプロ、つまり競輪選手になろうと考える選手はいなかった。 そんな折、当時日本有数の自転車産業の地であり、そのため自転車競技選手が多くいた大阪の代表格であった横田が後輩たちに「俺が競輪へ行くのなら、お前たちはついてくるか。」と呼びかけたところ、「横田さんが行くのならばついて行きます。」といって競輪入りする「アマチュア選手」が続々と現れるようになった。
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