佐藤素子 (旧皇族)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 20:32 UTC 版)
佐藤 素子 (素子女王) |
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竹田宮家 | |
続柄 | 竹田宮恒徳王第1王女子 |
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全名 | 佐藤 素子(さとう もとこ) |
身位 | 女王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
出生 | 1942年??月??日![]() |
配偶者 | 佐藤博 |
父親 | 竹田宮恒徳王 |
母親 | 恒徳王妃光子 |
佐藤 素子(さとう もとこ、1942年〈昭和17年〉 - )は、日本の旧皇族。竹田宮恒徳王の第1王女子。母は、公爵三条公輝令嬢・光子。旧名、素子女王(もとこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。
人物・来歴
1942年(昭和17年)、竹田宮恒徳王と同妃光子の第1王女子として、東京府東京市芝区高輪南町(現:東京都港区高輪)の竹田宮邸で生まれる。日本国憲法施行後の1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、父や家族とともに皇籍離脱。以後は、「竹田 素子(たけだ もとこ)」と名乗る。三友食品取締役の佐藤博と結婚し、「佐藤 素子」となる[1]。夫との共著に『留学生日記』(1988年、大学書林)がある。
家系
画像
脚注
注釈・出典
- ^ 『FRIDAY』1989年1月26日増刊号、36-37頁。
参考文献
- 第一編集局セオリープロジェクト編 『名家・名門の秘密』 講談社、2009年。
- 竹田恒泰著 『語られなかった皇族たちの真実』
外部リンク
- 『親王・諸王略傳』恒[恆正] - ウェイバックマシン(2012年3月3日アーカイブ分)
- 佐藤素子_(旧皇族)のページへのリンク