佐藤晃一_(ドイツ文学者)とは? わかりやすく解説

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佐藤晃一 (ドイツ文学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/01 04:11 UTC 版)

佐藤 晃一(さとう こういち、1914年3月4日 - 1967年7月7日)は、日本ドイツ文学者翻訳家。元東京大学文学部教授。主としてトーマス・マンを研究した。

人物

秋田県出身。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、福岡高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学独文科卒。 その後、兵役に就き、第一高等学校教授、東京大学教養学部助教授から、1948年同大学文学部助教授、1961年教授、1967年主任教授となり日本独文学会理事長となるが、7月7日急逝した。

1942年アドルフ・ヒトラーの『吾が闘争』の翻訳が刊行された際には、木村謹治相良守峯らとともにこれを絶賛し、戦後口を拭ってマンのナチスへの抵抗を礼賛した(池田浩士『ファシズムと文学』)。

著書

  • 『トオマス・マン論』(大日本雄弁会講談社) 1948
  • 『トオマス・マン』(世界評論社) 1949
  • 『トーマス・マンの世界』(大修館書店) 1962
  • 『ドイツの文学』(明治書院) 1967
  • 『ドイツ文学史』(明治書院) 1972

共著

翻訳

  • 『白い女』(カイザーリング、弘文堂書房) 1941
  • 『若き詩人への手紙』(リルケ、地平社) 1942、のち角川文庫
  • 『夢ものがたり』(シュニッツラー河出書房、市民文庫) 1954
  • 『声なき蜂起 ドイツ国民の抵抗運動の報告(1933-1945年)』(G・ヴァイゼンボルン、岩波書店) 1956
  • 『人生行路の諸段階』(キルケゴール白水社、キルケゴール著作集) 1963 - 1964

ヘルマン・ヘッセ

  • 『知と愛の物語』(ヘルマン・ヘッセ三笠書房、ヘルマン・ヘッセ全集) 1941
  • 『菩提樹』(ヘルマン・ヘッセ、三笠書房、ヘルマン・ヘッセ全集) 1942
  • 『郷愁』(ヘッセ、旺文社文庫) 1968:元版は三笠書房 ヘッセ選集

トーマス・マン

脚注





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