佐久間勉大尉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 03:20 UTC 版)
詳細は「佐久間勉」を参照 1910年(明治43年)4月15日、山口県新湊沖にて第六潜水艇がガソリン潜航実験の半潜航訓練中に沈没、艦長の佐久間勉大尉以下14名全員が殉職した。佐久間艇長は艇内にて最期まで冷静かつ的確な指示を行った結果、混乱が起こることは無くほぼ全員が持ち場を離れず死亡しており、持ち場以外にいた者も潜水艇の修繕にあたっていた。佐久間自身はガスが充満し死期の迫る中、39ページにも及ぶ遺書を残しており、その中で明治天皇に対する潜水艇の喪失と部下の死を謝罪し、事故原因の分析を記していた。これは国内外から大きな反響を呼び、長らく修身の教科書でも紹介された。
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