佐々木導誉へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:58 UTC 版)
しるべする 道こそあらず なりぬとも 淀のわたりは 忘れじもせじ(大意:導誉よ、あなたが私を囚人として護送する道は、私が天皇だったそのむかし石清水八幡宮へ案内してくれた時とは、全く違ったものになってしまったね。そうだったとしても、この淀の渡し場は、あの時と変わらないのだから、私と同じくあなたもあの懐かしい日々を、きっと忘れてはいないだろうね) —後醍醐天皇、『増鏡』「久米のさら山」 元弘の乱の初戦に敗北し、鎌倉幕府に捕まって隠岐国へ向けて京都を出立した元弘2年/元徳4年(1332年)3月7日に、道を先導する武士の佐々木導誉に向けて詠んだ歌。のち足利尊氏の側近のバサラ大名として権勢を誇る導誉だが、この頃はまだ一介の佐渡判官に過ぎなかった。そのように天皇からすれば弱小な地位の武士であったにもかかわらず、後醍醐はむかし導誉が石清水八幡宮に案内してくれた時のことを正確に記憶しており、その時のことを懐かしく思って導誉に親しく語りかけたのである。
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