但馬の戦国大名時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 06:13 UTC 版)
但馬国の大名・山名祐豊の三男として誕生。長兄・棟豊次兄・義親の後を受け、山名氏を継承した。長命であった父・祐豊との共著の文書が多く残り、家督継承後も隠居の父の威厳が強かったと思われる。 父・祐豊は、当初は但馬にまで侵攻した織田氏との抗戦後に織田方に属していた。天正3年(1575年)に重臣・太田垣氏らが毛利氏の吉川元春と和睦してしまったため、織田信長から織田氏に離反し毛利氏についたとみなされ、天正8年(1580年)に信長から中国地方攻略を命ぜられた羽柴秀吉に居城の有子山城を攻められ降伏した。父の祐豊は開城後、まもなく死去する。
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