伊豫田・岡本の計画の合併と明治用水の完成
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「明治用水」の記事における「伊豫田・岡本の計画の合併と明治用水の完成」の解説
伊豫田・岡本の計画の提出を受けた愛知県庁関係者の働きかけにより、両者の計画は合併することになり、伊豫田・岡本は1875年に愛知県令に用水路掘割溜池不毛地開拓再願書を提出した。地元農民の中には反対する者が多かったが、説得に当たった岡本は「工事ができあがれば、恨む村は三か村、喜ぶ村は数十か村、なにほどのこともない」と述べたといわれる。1879年に本流の工事が開始され、1880年には完成式典が挙行された。また、同年には中井筋、東井筋の工事が始まり完成している。西井筋は1881年に完成した。またこの年に明治用水と命名された。
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