伊予鉄道モニ30形電車
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伊予鉄道モニ30形電車 | |
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伊予鉄道モニ30形電車モニ30(1983年)
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基本情報 | |
運用者 | 伊予鉄道 |
製造所 | 古町車両工場(モニ30) 土佐電気鐡道(モニ31) |
製造年 | 1952年(モニ30) |
廃車 | 2007年3月31日 |
主要諸元 | |
電気方式 | Zパンタ |
荷重 | 2 t(モニ30) 5 t(モニ31) |
自重 | 2 t(モニ30)[注釈 1] 5 t(モニ31) |
長さ | 5580 mm(モニ30) 8490 mm(モニ31) |
幅 | 2035 mm(モニ30) 2197 mm(モニ31) |
高さ | 4180 mm(モニ30) 4168 mm(モニ31) |
台車 | ブリル21E(モニ30) |
固定軸距 | 1870 mm(モニ30) 2438 mm(モニ31) |
主電動機 | 18.65 kW×1台 |
制御装置 | シーメンスOW(直接式)(モニ30) DB-1(直接式)(モニ31) |
制動装置 | 手用(モニ30) SM-10(モニ31) |
備考 | 空気圧縮機:DH-10(モニ31) |
伊予鉄道モニ30形電車(いよてつどうモニ30がたでんしゃ)は、かつて伊予鉄道で運用されていた路面電車車両(電動貨車)である。
モニ30・31の2両が在籍していたが、ともに2007年(平成19年)3月31日付で廃車除籍扱いとされた[2]。モニ30は自社工場製。モニ31は元土佐電気鉄道の300形312であった[3]。
モニ30
モニ30は、1952年(昭和27年)に、自社の古町車両工場で製造された。
二軸車で、ブリル21E台車の上に1.5 m四方の乗務員室を設置した凸形車体であった。台車は、廃車となった市内電車のものを流用した。製造当初は木造車体で、集電装置はビューゲルであったが、後年になって半鋼製車体に改修され、モハ50形と同時期にビューゲルがZパンタに交換された。事業用車両であるが、車両番号が入れられており、オレンジ色の帯が巻かれていた[3]。
当初は、松山市駅 - 古町駅間で客車の回送に使用されていたが、伊予鉄道線の全面電化後は古町車庫工場の入換専用車となった[3]。
1991年(平成3年)の車輪自動削正機の導入に伴い、モニ30では車両の位置合わせが難しく、アント(アント工業製車両移動機)に役目を譲る形で、1990年(平成2年)に運用を終了した[3]。
運用終了後は、一部部品は取り外されたものの車籍を有したまま[3]、古町車庫西側の独立した線路に坊っちゃん列車のハ31形とともに放置されていたが、2014年(平成26年)ごろに栃木県那須烏山市の「那珂川清流鉄道保存会」に引き取られて修復が進められている。
モニ31
モニ31は、当初1954年(昭和29年)に土佐電気鉄道300形312として自社工場で製造された車両である。300形は7形を鋼体化したもので[3]、単車ではあるがデザイン的には同社の200形と同様、東京都電6000形がモデルとなっている。空気ブレーキを装備していた。
1971年(昭和46年)に廃車となり伊予鉄道に転入し、モニ30形31となった。伊予鉄道では転入後、車体上部を取り払い花電車としたが、運行する機会が少なく、いよてつそごうの開店時や、1985年(昭和60年)の交通安全号など数回しか運用されなかった。1991年のいよてつそごう20周年記念に運行[3]されたのを最後に、2006年12月に廃車解体された。
脚注
注釈
出典
固有名詞の分類
日本の電車 |
伊予鉄道100系電車 伊予鉄道110系電車 伊予鉄道モニ30形電車 加越能鉄道デ7000形電車 熊本市交通局0800形電車 |
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