仲町から新富町へ移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 08:24 UTC 版)
「丸広百貨店川越店」の記事における「仲町から新富町へ移転」の解説
飯能から川越に進出するさいには、当時川越の中心部だった仲町で1000平方メートルを確保しての出店にこだわり、大久保竹治は1年近く土地の買収の為に自転車で走り回り、地権者との交渉をつづけていたが「飯能の丸木が店舗を探している」という噂を聞きつけた総合卸「山吉」が、「旧山吉デパート跡を使わないか」という話をもちかけた。 山吉デパート跡は丸木が求めていた仲町で1000平方メートル級の店舗だったため、山吉デパート跡への出店を決め川越に進出した。この一等地「仲町」では飯能店の売上を大幅に上回り丸木躍進の原動力となるばかりか川越の地域一番店として大繁盛していたが、このとき竹治はすでに次の一手を考え、川越上空にヘリコプターを飛ばして航空写真を用意、川越店移転案を練っていた。 マイカー時代の到来を予測していた竹治は次の川越店は大規模駐車場を確保することと移転後も増床ができるだけの土地が確保できる場所であることを条件に出店用地を検討、そのなかで現在の本店がある新富町周辺は住宅街で「三等地」と評価していたが竹治は「新富町は川越の中心になれる。その火付け役になろう」と訴え社内の大反対を押しきり3年の月日をかけて用地を確保、4階建て売場面積5718m2の新店舗を建て、川越本店は新富町へと移転した。
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