仲泊の一里塚・真栄田の一里塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 13:37 UTC 版)
「国頭方西海道」の記事における「仲泊の一里塚・真栄田の一里塚」の解説
恩納村の宿道には、当時の一里ごとに人口塚や自然の山を利用した一里塚がもうけられ、旅人の道程の目安とされていた。真栄田の一里塚、仲泊の一里塚、谷茶一里塚、南恩納の馬場一里塚、安富祖一里塚、名嘉真浜原一里塚等の5ヶ所が設置されていたが、海路の拡張工事などで消滅し、現在では仲泊の一里塚、真栄田の一里塚だけが残っている。一里塚が恩納村以外にもあったかについては不明であり、恩納村のみに限って作られていたのではないかと思われる。仲泊の一里塚は、自然と丘(琉球石灰岩)を利用した北側の塚と南側の土塚の二基があり、本来は一続きであったと思われる。真栄田の一里塚は土と炭を混ぜ合わせた土塚でその上部には琉球松等が植栽されている。宿道の両端に対で設置されていたが、一方の塚は畑地開墾により破壊され、復元されたものである。
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