今日(けふ)ありて銀河をくぐりわかれけり
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
秋 |
出 典 |
瘤 |
前 書 |
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評 言 |
還暦を過ぎると人との別れが身近に感じられるようになる。そして、その別れの一つ一つが胸に深く刻まれ重く影を落とす。俳句仲間の高齢化が必然的に永遠の別れにつながるのは悲しい事である。 この句の別れ・・・無数の星の下での別れの中に、どれほどのドラマが隠されているのであろう。「けふありて」の巧みな措辞が一句をより深いものにしている。 春先、友人の一人が倒れた。気が付いたのは病院のベッドであったという。独り住まいの彼女は、その後の生活が変わった。身辺整理をし、句集なども手放し身一つでマンションに引っ越した。私は俳句を通してだれよりも彼女を理解しているつもりでいたが、俳句からも遠ざかってしまうとは・・・。明日をも知れぬ身であるからこその身の処し方であったろう。彼女らしいと思いつつ別れは辛いものであった。 秋元不死男は、横浜の元町で生まれ「氷海」の主宰として活躍、東京三の筆名で俳論を書き俳壇に認められた。不死男は新興俳句運動にも加わり、二年余を獄中で送った俳人でもある。昭和52年7月25日、75歳で亡くなった。 独房に釦おとして秋終る 嘆く日のみな一杖の葡萄の木 因みに「けふありて」の句碑は、横浜市港北区の曹洞宗真福寺の境内にひっそりと建っている。 |
評 者 |
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備 考 |
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