今井順斎とは? わかりやすく解説

今井順斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 09:25 UTC 版)

今井 順斎(いまい じゅんさい、万治元年(1658年) – 享保3年8月1718年))は、江戸時代中期の日本の篆刻家である。

を健、を元昌、順斎は。はじめ松浦姓を名乗ったが今井姓に復した。長崎の人。

略伝

松浦静軒の子で、代々続く医業を継いだ。様々な師に就いて医業を研鑽し一家を成した。

傍らで篆刻を嗜み、篆学に精しく(一説に亡命したの石周麟に学んだという)鉄筆を揮った。貞享3年(1686年)に江戸に出て、池永一峰の家に寓居してともに篆刻を研鑽した。一峰の『一刀万象』に序文を寄せ、そのタイトルも順斎が名付けたという。篆刻の黎明期にあって以降の装飾的な印風を排撃し古印を尊ぶ姿勢を示している。法帖模刻したが、技術が未開発で劣悪だった。貞享年間に榊原篁洲細井広沢と正面刷の技法を編み出して以来、法帖の精度が格段に高まった。後にこの方法を世に紹介している。

元禄2年(1689年)10月、医師として水戸藩に仕え、正徳5年(1715年)3月には幕府侍医に至る。

出典

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「今井順斎」の関連用語

今井順斎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



今井順斎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの今井順斎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS