亡逸した篇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 16:50 UTC 版)
つぎに現行76篇と成立当初の86篇の対応関係であるが、唐初においてすでに10篇が失われ、76篇となっていることが確認されている。しかし刊本になった宋代以降にも10篇失われたという記述もあるため、成立当初からどのくらいの篇が失われているか詳しくは解明できない。これを考える上の参考として、たとえば幼官第八と幼官図第九は内容が重複しており、幼官図のほうは元々図面の体裁であったと考えられること、また封禅第五十ははやく失われ、現行部分は『史記』封禅書からの抜粋であることが明記されていることがあげられる。篇が失われるごとに既存の篇を分割して篇の総数を合わせることがおこなわれたと考えられている。
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