井東幸七と「闡教部」の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 03:26 UTC 版)
「広島商業銀行」の記事における「井東幸七と「闡教部」の活動」の解説
広島市塚本町(現在の中区堺町)で肥料問屋を営んでいた資産家・井東幸七は、熱心な浄土真宗本願寺派の門徒として、明治初期に混乱していた真宗の教勢を立て直すべく、1879年(明治12年)に教宣団体「闡教部」設立に参加し、さらに信者の子弟教育のための学校「光道館」の設立(1885年)に尽力した。井東はこれらの活動・運営資金を調達するため、日清戦争以降、軍都として発展を遂げた広島に流通資金が集まっていたことに着目し銀行の設立を計画した。
※この「井東幸七と「闡教部」の活動」の解説は、「広島商業銀行」の解説の一部です。
「井東幸七と「闡教部」の活動」を含む「広島商業銀行」の記事については、「広島商業銀行」の概要を参照ください。
- 井東幸七と「闡教部」の活動のページへのリンク