五木・三石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/13 16:48 UTC 版)
金沢の地誌における名木・名石の記事として「四石」「八木」は有名であるが、「三石」「五木」を挙げるものは例がない。通例の「八木」のうち、称名寺にあったといわれる名木は万治2年(1659年)に出版された『鎌倉物語』にはすでにほとんど失われていたと記されていることから、「八木」は17世紀半ばをさらに遡る時期に選定されていたものと推測される。「八木」として名を挙げられている木のうち、能仁寺旧跡にあり金沢名所旧跡記の当時にはすでに枯れてなくなっていた「十丈の柳」と、瀬戸明神下通りにあったという「猥はへ松」は、通常の金沢の地誌には登場せず、わずかに『新編鎌倉志』の巻末つけたりに言及があるものの、位置が確認できるのは本書によるものが初である。能仁寺旧跡にあったという「十丈の柳」は、能仁寺が米倉氏の藩庁たる六浦陣屋となったため立ち入り禁止になっているとも述べられており、能仁寺の旧跡が当時まで地元住民の記憶にとどめられていたことを示している。
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