六浦陣屋とは? わかりやすく解説

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六浦陣屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/12 00:35 UTC 版)

六浦陣屋(むつら(むつうら)じんや)は、現在の神奈川県横浜市金沢区六浦武蔵国久良岐郡)にあった陣屋で、六浦藩(武州金沢藩)の藩庁である。版籍奉還までこの名称で呼ばれた。

概要

江戸幕府5代将軍徳川綱吉の時に才覚を表し、元禄12年(1699年)、武蔵国、相模国などで1万石を領した米倉昌尹が5千石加増で下野国皆川藩に陣屋を構え、2代藩主昌明の時に3千石分知し、1万2千石となった。

4代藩主忠仰の代、享保7年(1722年)武蔵国金沢の地に移封し、翌年に陣屋が完成し、陣屋を移した。この時点で皆川藩は廃藩となった。

現状

六浦陣屋は、現在の京急本線金沢八景駅沿いの六浦(追浜)の方に裏門を設け、人がやっと通れるほどの小さなガード下(駅前のガードではない)の瀬戸の方に表門があり、今では国道16号沿いとなった泥牛庵の頂上は藩主の見晴台として「御茶山」と言われていた。

陣屋跡は宅地化の進行で見る影もないが、中程に旧藩主の子孫が住んでいる。遺構として、陣屋入り口に石段が残っている。

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