二荒擴子
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| 二荒 擴子 (擴子女王)  | 
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| 北白川宮家、二荒家 | |
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       1915年撮影
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| 続柄 | 北白川宮能久親王第3王女 | 
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| 全名 | 二荒 擴子(ふたら ひろこ) | 
| 身位 | 女王 → (皇籍離脱) | 
| 敬称 | 殿下 → (皇籍離脱) | 
| 出生 |  1895年5月28日 | 
    
| 死去 |  1990年3月7日(94歳没) | 
    
| 配偶者 | 二荒芳徳伯爵 | 
| 子女 | 一覧参照 | 
| 父親 | 北白川宮能久親王 | 
| 母親 | 浮山幾牟 | 
| 栄典 |  勲二等宝冠章 | 
    
二荒 擴子(ふたら ひろこ、1895年〈明治28年〉5月28日[1] - 1990年〈平成2年〉3月7日[2])は、日本の元皇族。二荒芳徳伯爵夫人。旧名は、擴子女王(ひろこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。
生涯
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北白川宮能久親王と側室の浮山幾牟の娘として生まれる。1895年(明治28年)10月28日、父能久親王と死別。
1915年(大正4年)7月16日に伊達宗徳の九男二荒芳徳との結婚の勅許が下り[3]、7月18日付で、勲二等宝冠章を受章[4]。翌7月19日、宮中三殿に拝礼し、朝見の儀を執り行った[5]。7月20日、二荒芳徳伯爵に降嫁[6]。
なお、二荒伯爵家は、擴子女王の異母兄二荒芳之が興した家である。
結婚後は、婦人誌である『主婦の友』や『婦女界』の取材に応じている。
血縁
   栄典
脚注
注釈
出典
- ^ 『纂輯御系圖』(松成堂、1903年)、p.202(NDLJP:1085748/121)
 - ^ 『平成新修旧華族家系大成 下巻』(霞会館、1996年)p.458
 - ^ 『官報』第888号「宮廷録事」、大正4年7月17日(NDLJP:2952995/3)
 - ^ a b 『官報』第889号「叙任及辞令」、大正4年7月19日(NDLJP:2952996/7)
 - ^ 『官報』第889号「宮廷録事」、大正4年7月19日(NDLJP:2952996/8)
 - ^ 大正4年宮内省告示第14号(『官報』第891号、大正4年7月21日)(NDLJP:2952998/7)
 - ^ a b c d 『人事興信録』第8版(1928年7月)、「二荒芳徳」の項
 
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