二川以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 08:12 UTC 版)
1889年、町村制施行により二川村となる。明治末期より大正にかけて農業に加えて、養蚕業と絹糸工業も盛んであった。二川村最初の株式会社も製糸工場であり、女子工員50名が勤めた。1954年(昭和29年)ジャージー牛の種牛が30頭、村に導入され酪農が奨励されている。1956年(昭和31年)9月30日、湯原町と合併。もともと湯原町・二川村・中和村の3ヶ村合併協議会により3地域の合併予定だったが、中和村は八束村との合併の機運が出たため、段階的にまずは湯原町・二川村の2地域による合併協議が進んだ。ちなみに中和村はその後も湯原町とは合併していない。さらに2005年(平成17年)3月「平成の大合併」により、久世町・勝山町・落合町・北房町・美甘村・湯原町・中和村・八束村・川上村の9つの町村が合併。現在の真庭市となった。
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