二俣城主となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 08:54 UTC 版)
宗能の子・貞宗の長男信薫(のぶしげ、左衛門亮)は永正11年に遠州国人の二俣氏に替わり二俣城(静岡県浜松市天竜区)の城主になり、信薫が病死した享禄2年(1529年)にその弟・宗信(左衛門佐)へと継がれた。宗信は今川義元の三河進出の先鋒として出征し、天文年間から三河国各地で歴戦したが、義元の三河・尾張方面への親征に具奉した永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで織田信長に敗れ主君・義元と共に戦死した。
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