九ヵ部四門の制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 03:27 UTC 版)
糠部郡には、「九ヵ部四門の制(くかのぶしかどのせい)」の制がしかれていた。糠部郡を一から九までの「戸」(あるいは部)にわけ、一戸ごとに七ヶ村を所属させ、余った四方の辺地を東門、西門、南門、北門と呼んだと思われる。 一説には南部氏の領地になった順番とも言われるが、四門九戸の制がしかれた時期が鎌倉期以前ともされているので、必ずしも事実とは思われない。他に、南門が一戸・二戸、西門が三戸・四戸・五戸、北門が六戸・七戸、東門が八戸・九戸を差すとする説もある。 「戸」とは「牧場」の意であるとも言われる。戸制が施行された地域は「糠部の駿馬(ぬかのぶのしゅんめ)」といわれた名馬の産地で、馬がどの「戸」の産かを示す「戸立(へだち)」という言葉も生まれるほど珍重され、源頼朝が後白河院に馬を献上した際、後白河院が「戸立」に非常に興味を示したと『吾妻鏡』にある。 四戸を除き、一戸から九戸は現在でも行政地名として現存し、一戸町、二戸市、九戸村が岩手県に立地し、三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、八戸市は青森県に立地しており、北門は現在の上北郡、下北郡にその名を留めている。
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