久美浜代官時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 16:13 UTC 版)
「塩谷正義 (代官)」の記事における「久美浜代官時代」の解説
代官に任命された正義は、同年8月3日、丹後国久美浜陣屋に妻かねと共に赴いた。これに先立つ7月、正義は任地に赴く前の身辺整理に伴い、塩谷家の先祖代々の墓を新たに立てて先祖供養している。翌享和元年(1801年)1月28日には、任地で嫡男捨五郎(正路)が誕生した。この地でも正義は、民政を重視し、夜間になって支配地内を密かに巡視し、民情把握に務めた逸話が残るなど、昼夜を問わない働きで着々と実績を積み重ね、文化2年(1805年)5月には、美作国1万石が加増され、合わせて6万石を支配する代官となった。美作を加増された正義は、吉野郡で間引きという悪習が続いていることを知り、これを改めるため、貧しい人々の生活を支援するために基金を設立している。
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