丹波仏師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:02 UTC 版)
達身寺は工房であり、そこには丹波仏師がいて造仏していたのではないかという郷土史家の説がある。すなわち、達身寺は多くの仏師達の養成所だったのではないか、という説である。 丹波仏師がいたことを認めれば、未完成の仏像が多い、同名の仏像が多いなどの謎が解ける。また、東大寺の古文書の中に「丹波仏師快慶」と記されており、彼は「私は丹波仏師である。もしくは丹波の地とつながりの深い仏師である。」と言っている。とすれば鎌倉時代の仏師快慶は、達身寺から出た仏師もしくは、達身寺とつながりの深い仏師であるといえる。達身寺には古文書が乏しいため、明確なことはわからない。
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