中院家復権のきっかけを得る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/11 06:48 UTC 版)
「中院通淳」の記事における「中院家復権のきっかけを得る」の解説
通淳の曾祖父中院通冬が一時的に南朝に仕えたことがきっかけとなり、持明院統北朝政権下で中院家は沈淪を余儀なくされた。通淳も辞任還任を繰り返す状態であったが、「嘉吉の乱」があり室町幕府6代将軍・足利義教が赤松満祐に暗殺されたことを境に淳和院別当に補され、従一位准大臣に至ったのである。息男の中院通秀と肖柏が共に歌人として名を成したこともあり、和歌を足がかりとして中院家は徐々に復権してゆくことになった。
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