中院家久しぶりの内大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/11 06:48 UTC 版)
中院通顕以来、通冬、通氏、通守、通淳と4代にわたって内大臣に昇ることができなかったが、通秀は中院家としては久しぶりに内大臣に昇ることができた。『実隆公記』によれば、文明17年(1485年)3月16日に行われた扇合わせの歌会に通秀も参加予定であったが、腫物の病のため不参加で扇を寄し兆子等の計らいをしたとある。そして同月25日、通秀が望んだ内大臣に任ずるよう消息をもって宣下があった。続けて同月27日、内大臣を辞した。 内大臣を辞した通秀は、文明17年(1485年)4月7日に御所で行われた和漢御会に出席しているので、この頃には病が癒えて歌会などに参加できるようになったと考えられる。
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