中院家不遇の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/11 06:46 UTC 版)
父・通冬が一時南朝に参じたことなどの影響もあり、通氏の時代になると中院家は不遇をかこつことになった。通氏は権中納言在任が20年に及び、その間は何の兼官もなかった。万里小路家から妻を迎えたことは、少しでも足利将軍家に接近しようと考えたためと推測される。何とか中院家が復権してくるのは、中院家出身としては久しぶりに従一位に叙せられた孫の通淳の時代になってからである。
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