中原会戦とは? わかりやすく解説

中原会戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 00:01 UTC 版)

中原会戦(ちゅうげんかいせん)は、日中戦争中の1941年昭和16年)5月から6月の間、山西省南部で行われた日本軍と中国軍の戦闘である。北支那方面軍が中国第1戦区軍の包囲殲滅を狙い、大きな戦果を上げた。百号作戦とも呼ばれる。中国側の呼称は中条山戦役、または晋南会戦




  1. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070307400、北支那方面軍戦時月報 (後方関係)(防衛省防衛研究所)」
  2. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070306200、北支那方面軍戦時月報 (後方関係)(防衛省防衛研究所)」
  3. ^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C07092284000、陸支受大日記(普)別冊 昭和16年1月~5月 (昭和16年1月27日 東京参謀長会議に際し 北支方面軍状況報告)(防衛省防衛研究所)」
  4. ^ 國史館檔案史料文物查詢系統,衛立煌電蔣中正中條山戰役人馬武器損失情形,典藏號:002-080200-00296-013
  5. ^ 第33師団は第1軍に配属し、第17師団は第12軍に配属して第21師団と警備を交代させ、第21師団を北支那方面軍直轄として作戦参加。
  6. ^ 『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 369-370頁。
  7. ^ a b 小谷賢『日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』 (講談社選書メチエ)P34
  8. ^ a b c d 小谷賢『日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』 (講談社選書メチエ)P146 記述の原典は「特殊情報回想記」
  9. ^ この図の西正面の配置は右翼(西側)から独混第16旅団、第37師団、第36師団、独混第9旅団、第41師団となるのが正確。
  10. ^ 中国軍の「師」は師団に相当。1個師の兵力は平均約7,000人。
  11. ^ 『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 370-372頁。
  12. ^ 『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 368-369頁。
  13. ^ 『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 372頁。


「中原会戦」の続きの解説一覧




固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」から中原会戦を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から中原会戦を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から中原会戦 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中原会戦」の関連用語

中原会戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中原会戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中原会戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS