中原会戦
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中原会戦(ちゅうげんかいせん)は、日中戦争中の1941年(昭和16年)5月から6月の間、山西省南部で行われた日本軍と中国軍の戦闘である。北支那方面軍が中国第1戦区軍の包囲殲滅を狙い、大きな戦果を上げた。百号作戦とも呼ばれる。中国側の呼称は中条山戦役、または晋南会戦。
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- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070307400、北支那方面軍戦時月報 (後方関係)(防衛省防衛研究所)」
- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13070306200、北支那方面軍戦時月報 (後方関係)(防衛省防衛研究所)」
- ^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C07092284000、陸支受大日記(普)別冊 昭和16年1月~5月 (昭和16年1月27日 東京参謀長会議に際し 北支方面軍状況報告)(防衛省防衛研究所)」
- ^ 國史館檔案史料文物查詢系統,衛立煌電蔣中正中條山戰役人馬武器損失情形,典藏號:002-080200-00296-013
- ^ 第33師団は第1軍に配属し、第17師団は第12軍に配属して第21師団と警備を交代させ、第21師団を北支那方面軍直轄として作戦参加。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 369-370頁。
- ^ a b 小谷賢『日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』 (講談社選書メチエ)P34
- ^ a b c d 小谷賢『日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』 (講談社選書メチエ)P146 記述の原典は「特殊情報回想記」
- ^ この図の西正面の配置は右翼(西側)から独混第16旅団、第37師団、第36師団、独混第9旅団、第41師団となるのが正確。
- ^ 中国軍の「師」は師団に相当。1個師の兵力は平均約7,000人。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 370-372頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 368-369頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦(3)昭和十六年十二月まで』 372頁。
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