中仏関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 04:59 UTC 版)
「2008年のチベット騒乱」の記事における「中仏関係」の解説
中国本土では、抗議活動の中心にいると見られたフランスと、抗議活動を支持するかのような発言を繰り返したサルコジ大統領に対する反感が広まり、中国に展開するカルフールの支店が不買運動や営業妨害活動の標的となったため、中国との関係修復を急いだフランスのサルコジ大統領はポンスレ上院議長を特使として派遣して、中国への謝罪を行った。 しかし、フランス国内の反サルコジ勢力によって、この一件が非難されたため、2008年12月ポーランドにてサルコジ大統領はダライ・ラマ14世と会見せざるを得ない状況に追い込まれた。これに反発した中国政府によって、サルコジ自身が2007年11月に訪中した際に取り付けた、エアバス160機、原子炉2基など計200億ユーロに上る大型商談がキャンセルされる危機に直面した。
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