中の山古墳とは? わかりやすく解説

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中の山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:32 UTC 版)

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中の山古墳

中の山古墳(2011年7月)
所属 埼玉古墳群
所在地 埼玉県行田市渡柳
位置 北緯36度7分19.9秒 東経139度28分41.7秒 / 北緯36.122194度 東経139.478250度 / 36.122194; 139.478250
形状 前方後円墳
規模 全長79m(推定)、高さ5.2m
出土品 須恵質埴輪壷
築造時期 6世紀末
史跡 国の特別史跡「埼玉古墳群」に包含
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中の山古墳(なかのやまこふん)は、埼玉県行田市渡柳にある古墳。形状は前方後円墳埼玉古墳群を構成する古墳の1つ。国の特別史跡に指定されている(特別史跡「埼玉古墳群」のうち)。

概要

  • 墳丘長79メートル[1](推定)
  • 後円部径38メートル(推定)・高さ4.9メートル
  • 前方部幅44メートル(推定)・高さ5.2メートル

二重の周濠を持っている。調査範囲が狭いため、現在のところ周濠の形状は確定できない。渡柳地区にある三基の古墳の中央に位置するのでこの名があり、かつて石棺の如きものが発見されたと伝えられることから別名、唐櫃山(かろうとやま)古墳と呼ばれている[2]1981年1987年1990年2010年発掘調査を実施。

跡から通常の円筒埴輪ではなく、須恵器で焼かれた灰色の(須恵質埴輪壷)が出土している。これと似たような土器は韓国(全羅南道羅州市伏岩里2号墳など)と北九州(大分県日田市朝日天神山古墳群など)のいくつかの古墳で確認されている[3]が、関東地方では他に例が無い。なおエックス線解析した結果、約30キロ離れた寄居町の末野遺跡第3号窯で焼いたものであることが判明している。

6世紀末から7世紀初めの築造。埼玉古墳群に所属する前方後円墳の中では、最後に築造されたと考えられている。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 埼玉古墳群 - 行田市(行田市教育委員会)
  2. ^ 「ガイドブックさきたま」29頁 埼玉県立さきたま史跡の博物館発行 2010年11月
  3. ^ 太田博之「埼玉中の山古墳の有孔平底壺系円筒土器」『考古学雑誌』第90巻第2号 2006年2月

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