並木の列数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:52 UTC 版)
「馬場大門のケヤキ並木」の記事における「並木の列数」の解説
2007年現在、馬場大門のケヤキ並木は馬場中道に沿って2列で存在するが、過去には西馬場、東馬場の外側にも並木が存在し、計4列で並木を構成していたとの説がある。江戸時代後期の基本文献とされる『新編武蔵風土記稿』の挿絵には4列の並木を持った馬場大門が描かれている。さらに、『新編武蔵風土記稿』の調査にかかわった植田孟縉が記した『武蔵名勝図会』の挿絵も同様に4列の並木が描かれている。しかし、地元の史料では、1870年に写されたとされる「慶長境内図の写し」に東馬場、西馬場の内側・外側土手4列に「土手並木」と記載されている以外、その他地元の史料には4列の並木は登場しない。 1876年生まれで馬場大門のケヤキ並木沿いに住んでいた梶川啓蔵の記憶に基づき1970年ごろに描かれた記憶図では西馬場、東馬場の外側の土手に背の低い樹木が植えられている。梶川啓蔵は「外側の土手の並木は明治になってから府中町が植えたサクラで、折られたり抜かれたりしてなくなってしまった」と証言している。この証言が正しいとすると、並木が4列ではなかった可能性がある。 馬場大門のケヤキ並木が2列だったのか4列だったのか、馬場大門のケヤキ並木にかかわる基礎的な事柄さえも、確証がなく、謎のままとなっている。また、梶川啓蔵は馬場大門の3筋の道は窪んでじめじめしていたとも証言しているが、この窪みと土手がいつごろなくなったのかも明らかになっていない。
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