下山村 (愛知県額田郡)とは? わかりやすく解説

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下山村 (愛知県額田郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/07 08:25 UTC 版)

しもやまむら
下山村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 分割編入合併・分割新設合併
下山村(一部) → 東加茂郡下山村
下山村(一部)、豊富村宮崎村形埜村額田郡額田町
現在の自治体 豊田市岡崎市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
額田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 22.84 km2.
総人口 2,103
(愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日)
隣接自治体 岡崎市額田郡形埜村東加茂郡下山村
下山村役場
所在地 愛知県額田郡下山村大字保久字中村72
座標 北緯35度00分37秒 東経137度18分13秒 / 北緯35.01033度 東経137.30369度 / 35.01033; 137.30369 (下山村)座標: 北緯35度00分37秒 東経137度18分13秒 / 北緯35.01033度 東経137.30369度 / 35.01033; 137.30369 (下山村)
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下山村(しもやまむら)は、かつて愛知県額田郡にあったである。

同一名称の自治体である東加茂郡下山村と隣接しており、昭和の大合併では、この下山村に一部が編入されている。

現在の岡崎市の北部と豊田市南東部に該当する。

沿革

  • 江戸時代末期、この地域は岡崎藩領、旗本領であった。
  • 1878年明治11年) -
    • 上田代村と折地村が合併し、田折村となる。
    • 伊賀谷村と中保久村が合併し、中伊村となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 田折村、中伊村、保久(ほっきゅう)村、蕪木(かぶらき)村、田代村、外山村、一色村、富尾(とんびゅう)村、蘭(あららぎ)村が合併し、下山村となる。
  • 1956年昭和31年)9月30日 -

分割編入の経緯

  • 当初の計画では、豊富村、宮崎村、形埜村、下山村で合併であったが、1956年5月、下山村北部の住民より、郡界川対岸の東加茂郡下山村との合併を望む声がでた。最終的には村と住民との話し合いの結果、同年8月に田代、田折、蕪木、蘭村を分割することでまとまったという。

学校

寺社

神社

寺院

  • 善光寺(中伊)
  • 天然寺(中伊)
  • 萬福寺(保久)
  • 長興寺(保久)
  • 明圓寺(一色)
  • 法性寺(冨尾)

脚注

  1. ^ 愛知県総務部統計課 1951年10月刊行

関連項目




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