上田基督公会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:57 UTC 版)
上田で鈴木親長の協力で、自宅を開放して聖書研究会、祈祷会を開いた。そして、1875年8月に「邪教を棄て真神を拝し、酒を禁じ、聖日を守り、互いに仁愛慈善の行為を励まし、社会の弊風を一洗せん」という趣旨で上田禁酒会。。を組織して、禁酒運動と伝道活動に励む。 1876年(明治8年)1月、神奈川県横浜市に行き、日本基督公会(現、日本キリスト教会横浜海岸教会)で、J・H・バラ宣教師から洗礼を受けた。8月にエドワード・ローゼイ・ミラーとブラウン塾の塾生真木重遠と一緒に上田で伝道を始める。 16名が洗礼を受ける。続いて、10月8日J・H・バラを招いて伝道会をすると、19名が洗礼を受ける。そこで、稲垣と坂巻淳一郎を加え37名で上田基督公会(現、日本キリスト教会上田教会)が創立された。
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