上北鉱山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 02:46 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動上北鉱山 | |
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所在地 | |
所在地 | 青森県上北郡七戸町 字南天間舘 |
国 | ![]() |
座標 | 40°44′33.5″N 141°0′43.3″E / 40.742639°N 141.012028°E座標: 40°44′33.5″N 141°0′43.3″E / 40.742639°N 141.012028°E |
生産 | |
産出物 | 銅鉱石 |
生産量 | 2万トン/月 (1955年) |
歴史 | |
開山 | 1940年(昭和15年) |
採掘期間 | 33年 |
閉山 | 1973年(昭和48年)6月 |
所有者 | |
企業 | 日本鉱業 (現:ENEOSホールディングス) |
プロジェクト:地球科学/Portal:地球科学 | |
上北鉱山(かみきたこうざん)は、青森県上北郡天間林村(現七戸町)字南天間舘で操業していた日本鉱業(後にJXホールディングス等を経てENEOSホールディングス)経営の鉱山。1940年(昭和15年)に操業開始。銅と硫化鉄を産出し、最盛期には1ヶ月に2万トンの鉱石を処理したが、鉱石の枯渇により1973年(昭和48年)6月に閉山した。
歴史
- 1935年(昭和10年) - 硫化鉄鉱脈を発見。
- 1940年(昭和15年) - 本格的に採掘を開始。
- 1941年(昭和16年) - 銅鉱床を発見。
- 1955年(昭和30年) - 選鉱場が完成。1ヶ月に2万トンの鉱石を処理する。
- 1973年(昭和48年) - 資源の海外依存が強まったのと鉱石の枯渇により閉山。
エピソード
- 国内最大の銅産出量を誇り「神風鉱山」と呼ばれていた。
- 最盛期には5000人もの人々が暮らし、かつては小中高校、病院、郵便局、映画館、食品スーパーが存在した。
- 青森市の国鉄東北本線(当時)野内駅[1]と上北鉱山を結ぶ索道(ロープウェー)が通っていた。
- 現在は金属鉱業等鉱害対策特別措置法に基づいて、指定鉱害防止事業機関[2]が鉱害防止業務として坑水処理場を設け、鉱毒の中和作業を実施している。
- この周辺ではサモダシ(ナラタケ)等の山菜取りが盛んに行われている。
脚注
- ^ 青い森鉄道移管後の2011年春に別な場所に移動。
- ^ 財団法人資源環境センター
参考文献
- デーリー東北 2000年5月19日号
周辺
- みちのく有料道路(ただし離れている)
- 八甲田トンネル(近隣だが地中になる)
- 青森県道242号後平青森線
関連項目
- 上北鉱山のページへのリンク